□あなたと厚揚げのある風景?2nd?
もうこの時期になるとかなり涼しい。
まだ冷えはしないが、夜になると半袖では涼しいだなんて言っていられなくなる。
そう、季節はとっくに秋を迎えていた。
けれど季節が変わっても、そうそう身の回りまで変わる訳がない。
いつもの時間にいつもの仕事をこなして、いつも通りにこの時期を過ごすだけだった。
何だかんだ言って、忙しかった夏。
色々と頭を抱え込むようなことばかりあった夏。
あの時は悩んだり悔やんだり…よく泣いたけど、はっきり言って最高に楽しかったし、それなりに季節を満喫した方だと思う。
でも今は……?
肌寒いなって思って、それでやっと季節が変わったのに気が付いた。
ここ数日は秋名にも行ってない。
中間テストがあると言って、休んでいる学生バイトたち。
樹も拓海もいつもの半分も来やしないので、要はその人数を埋める為に正社員である自分が動き回るはめになっているってことだ。
勿論、店長にはシフトを見たときにそれなりに言ったけど、人手が足りないのは解っているから変えてくれなんて事は言わなかった。
あと三日でテスト期間が終わる。
それまでの辛抱。
そうすれば、ゆっくり飯を食って、腐るほど寝て、秋名にも行ける。
もう、手の空いた時間を見つけてやっと昼飯を掻きこめると思ったら、また客が来て中断…、なんてことを続けるのにもちょっとウンザリしていた。
「最近、厚揚げ食ってねぇなぁ…」
飯のことなんか考えていたのがいけなかったのか、ポロっとそんなことが口をついて出た。
仕事中だと言うのにそれはいかんだろ?
慌てて車内のドライバーを見るが、自分とは反対の方向にあるカウンターの数字をボーっと見ている様子に、勝手に聞かれなかったということした。
やっぱ疲れてるんだろうな。
池谷は今度こそ聞こえないように注意をして溜息をついた。
誤魔化すようにフロントガラスの残り半分を拭き始める。
だって、あの店の厚揚げは美味いんだよな。
さすが豆腐屋だけのことはあるよな。
…なんて、一度思い出したら味まで思い出して食べたくなってきた。
でも仕事が終わってから行ったのでは売り切れどころか、店まで閉まっている時間になる。
どうやったってあと三日間は口に入れるのは無理。
でも、ついつい考えてしまう。
厚揚げと…、あの店主のことを。
「……………(元気かなぁ…)」
厚揚げを食べていないと言うことは、イコール、文太にも会っていないと言うこと。
今の時間だったら、きっといつもと同じように常連さんのオバサン達に囲まれているんだろうな、なんて考えて思わず口元が緩んでしまう。
…だから仕事中なんだってば。
そう、仕事中だった。
現実逃避するほど疲れてるのか?
池谷は手だけを動かして一台を送り出すと、もう一台の給油に取りかかった。
あ?あ、あと三日も我慢するのか…。
そんなもやもやした気持ちのままだったが、やっとあと少しで今日の仕事が終わる。
表の電気と照明を消して、あとは店長に報告すれば上がれるんだ。
肩がこるなんて歳じゃないけど、首を回すとゴキゴキと音がする。
これが毎日ってのは結構ツライ…。
そんなことを確認してしまったせいか、また溜息が出てしまった。
「さ、とっととやって帰るかな」
気を取り直して一応スタンドの中をいつものように確認して歩く。
異常がなければ最後にチェーンを張るだけ。
「…………?」
チェーンを掛けて回っていると、どこかで聞いたことのある音が聞こえてきた。
耳を澄ましてしまうのは癖みたいなもの。
高めのエキゾースト。
決して煩くなく、けれど自分達と同じものを感じる音…。
車通りの少なくなった道路に響いてきて心地よい。
こんなことでも幸せな気分になれるって、ほんとに幸せなヤツだよ、自分。
…まったくさ。
せっかくだからその音の主でも拝んでやるか、と、その場に立って眺めていると、直ぐにライトが見えてくる。
そのライトの逆光もあって直ぐには車種の判別はできなかったが、他の店の明かりで見えたボディは白と黒のツートン。
この辺にそんな年式で、そんなカラーで、そんなふうに弄ってある車は一つしかないはず。
そう、その車は良く知っているものだった。
「あれ…?拓海??」
思わず言いなれたドライバーの名前を言って、自分の目の前を通り過ぎて行った車を目で追うが、車内なんて暗くて誰が乗っているのかなんて分かりっこない。
その側面に「藤原とうふ店」と書かれた営業車は、まだチェーンを掛けてない場所を選んで緩やかに弧を描いて中に入って来た。
拓海がこんな時間に一体なんの用なんだ?
最初から乗っているのは拓海だと決めていた池谷は、下ろされたウインドーから顔を出した人物に心底驚いた。
「よう、池谷か。こんな時間までご苦労だな」
それがあのとうふ屋の店主のほうだったから。
「ふ・じわら…さん…?」
もしかして会いたいなって思ったのが通じた?
…なんてロマンチックなこと考えている場合じゃない。
本日最後の、最高のお客さんだ。
「珍しいですね、こんな時間に給油だなんて」
「まぁな、ハイオク満タンで頼むわ」
何気ない、どちらかと言えば素っ気ない会話。
でも、それだって、望んでいたものだったなら嬉しいもの。
まだ電源を落とす前で良かったと、池谷は手際よく仕事をこなしていった。
「…………」
本当はこうしている間だってもっと話をしたい。
けれどそんな勇気があるはずもなく、貴重な数分間は過ぎていく。
情けないことに、今はただスタンドの店員として動くことしかできなかった。
給油口を閉め、現金でのお支払い。
それが終わればお客さんは帰るだけになる。
「じゃあな」
文太は一応池谷に声を掛けると、キーを回した。
やっぱりこのまま行ってしまうのだろう。
他に用事なんて…、あ、でも店長にはないのかな?
何とか引き止めたくて、そんなことにまで頭を回していたら、ふと文太がナビから白いビニール袋を持ち上げた。
「あ、そうそう。これ」
ほらよ、と、渡されたものを何だか訳もわからずについ受け取ってしまったが、よく見てみるとそれはいつもの 『藤原とうふ店』 御用達の袋だった。
ビニールの上から触ってもわかる、この大きさと感触。
これは……。
「また厚揚げ買いに来いや。お前さんの分が残るんでな」
文太はそう言い残すと、池谷が手にしたものと睨めっこをしている隙に、ゆっくりとハチロクを発進させた。
「え!あ、すみませんっっっ…」
そうか、俺の分が売れ残るのか、そりゃ失礼な事をした。
純粋に、と言うか、単純にそう理解した池谷は、自分の横をすり抜けたテールに向かって素直に頭を下げて謝る。
文太は窓から手を出して軽く振ると、それをあいさつ代わりにして行ってしまった。
スゴク嬉しい気がする。
ついでだって、売れ残りだって、なんだって、あの人がこれを用意して、ここに来て、渡してくれた。
それだけだってスゴク意味があるような気がする。
疲れなんてどこ吹く風だ。
やっぱり厚揚げは買いにいかなくちゃな…。
こんな美味しい物が売れ残るなんて……、…?
「っっって?あれ?」
そこまで考えて、やっと何かおかしい事に気がついた。
何がおかしいかって、最後に言った文太のセリフ。
「………え?
オレの
分が残る…て?」
確かにそう言った、はず。
俺の分が残るってことは、俺が買いに行かないのだから当然なんだけど…。
そう言う問題じゃなくて、どうして俺の分なんかがあるのかってことだ。
「………なんで?」
まさか、まさかな……。
俺の分をわざわざ取っておいてくれているなんてこと、ないよな?
そんなことで、期待しちゃだめかな?
……今度、閉店間際に行ってみようかな?
厚揚げ下さいって。
池谷はビニール袋を抱えたまま、ずっとハチロクのテールランプが消えていった方向を眺めていた。
その向こうにある店と店主に思いを馳せて…。
けれどそれは直ぐに中断されてしまった。
ちょっと残念。
「おーい!池谷、終わったか??」
裕一だ。
どうやらあまりにも遅いので様子を見に来たらしい。
さっき文太が来なかったか?と聞かれたが、そんなことは右から左に抜けてしまって、なんて返事をしたのかは覚えてなかった。
気温は下がっているはずなのに、厚揚げだって温かいはずはないのに、抱えている袋がやけに温かく感じる。
これが温もりってやつなんだろうか?
「さあ、店長!帰りましょうか!」
池谷は走って残りのチェーンを掛けると、どこにその気力と体力が残っていたのか池谷自身も不思議に思うくらいに素早く帰り支度をした。
とにかく後三日間の辛抱なんだ。
そうしたら、また買いに行こう。
俺の13で。
今日のお礼もちゃんと言って、いつもと同じ他愛もない話をして帰ろう。
そんなことを考えるだけで、やっぱり幸せになれる。
心なしか13だって軽い気がしてくる。
もちろん、色々と考えている中に、今晩の食事のメニューが入っていたことは言うまでもない…。
それは、やっと季節を感じた10月のことだった。
終